妙法蓮華経信解品第四(みょうほうれんげきょうしんげほんだいよん) 現代語訳


その時に、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目腱連たちは、

仏に従い今まで一度も聞いたことのない教えと、

世尊が、舎利弗に一切の真理をすべて知った最上の悟りを得るであろうと予言し約束されたことに、希有の心を起こし、

大いに喜んで踊り上がり、

座から立ち上がって衣服を整え、右の肩をあらわにし、右ひざを地に付け、

一心に合掌し、身体をかがめ恭しく敬い、

世尊のお顔を見上げて、仏に向かって言った。

私たちは、僧の上の地位におりますが、年老いて心身は衰えました。

自ら既に、煩悩の火を消して知慧の完成した悟りの境地を得て、肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえることもないと言って、

また一切の真理をあまねく知った最上の智慧を求めることをしませんでした。

世尊は、昔より長い間説法してこられました。

私たちもそのときにその座にあり、体は疲れ、

ただすべての事物はみな因縁によってできた仮の姿で、永久不変の実体や自我などはないということや、一切の執着を離れた境地や、人為的な働きのないことを念じて、

悟りを求める修行者の教えや、心にまかせて自由自在に振る舞い計り知れない不思議な力を得ることや、

仏国土を清らかにすることや、

生命のあるものすべての願いをかなえさせることを、心の喜びと楽しみにしませんでした。

理由は何故かというと、世尊、私たちを生まれまた死んで往来する世界から出させ、

一切の悩みや束縛から脱した円満で安楽な境地へ至ったという証を得させていただいたからです。

また、今、私たちは既に老衰して、

仏が悟りを求める修行者を教化される、一切の真理をあまねく知った最上の智慧において、

非常に短い時間ですら楽しみと喜びの心を生じなくなりました。

私たちは今、仏の前において、自己の悟りのみを求める修行者に対し、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろうという予言と約束をされたことを聞いて、

心が大いに歓喜し、未だかつてないことを経験いたしました。

今になって急に、めったに聞くことのできない教えを聞けるとは思っておりませんでした。

深く自らこの幸いを喜び、大きな喜びとご利益を得ました。

量り知れない珍しい宝を、求めてもいないのに、自ら得ることができました。

世尊、私たちは今、喜んで譬喩を説いて、それによってその教義を明らかにしようと思います。

たとえば、ある人がいて、年が幼い時に父を捨てて逃げ出し、

長い間他の国に住んで、或いは十年、二十年、五十年に至った。

年は既に大人になったが、困難な状況や貧乏でますます苦しみ、

四方に奔走して衣服や食べ物を求め、

段々と放浪して、生まれた国へ偶然にも向かいました。

この父は、以前より子供を捜し求めたが、探し出せずにある町に留まっていた。

その家は大いに富み、財宝は、量ることができないほどであった。

金・銀・瑠璃・珊瑚・琥珀・水晶、珠など、

その倉庫に満ちあふれていました。

多くの召使いの少年、臣下・傭い人が居り、

象、馬、車、牛、羊は、数え切れないほどいました。

金銭を貸して利息を得ることは、他国に広く行き渡り。

商人やお得意の客もまたはなはだ多数でした。

そのときに、貧窮した子は、諸々の集落を放浪し国や領地ををめぐり歩き、

ついにその父の留まる町にたどり着いた。

父は、毎日のように子を思っていた。子と離別して五十余年。

しかし、未だかつて人に向かってこのことを話したことはない。

ただ、自ら思い巡らして、心に後悔の思いを懐いて、

自ら思った。私は、年老いて多くの財物がある。

金、銀、珍宝、倉庫に満ち溢れてはいるが、子供がいない。

一度、死んでしまえば、財物は散失して相続する者もない。

このために心を込めて、毎日その子のことを思うのだ。

また、このような思いを懐いた。

私がもし、わが子を得ることができて、財物を相続できれば、

安らかに快くなり、また思い煩うこともない。

世尊、その時に、困窮している子供は、

雇われ転々として、父の家に偶然にやって来た。

門の側にたたずみ、はるかにその父を見れば、

獅子の座に座り、宝石を飾った足台に足を置き、

諸々の婆羅門、武士、学徳がある者は皆、恭しく敬い、周りを右回りに歩く作法で礼拝していた。

真珠や珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、千万の価値のあるものによってその身を飾り、

雇い人や召使いの少年は、手に白い払子(ほっす)を持って、左右につき従って立っていた。

宝石をちりばめた垂れぎぬで覆い、諸々の花の旗を垂れ、

香水を地にそそぎ、諸々の美しい花を散らし、

宝物を羅列して、出し入れして与えていた。

この様な種々の美しい飾りがあって、威厳と人徳は特に尊く見えました。

困窮している子は、父に大きな力と勢いがあるのを見て、

恐怖心を懐いて、ここにやって来た事を後悔した。

ひそかにのこのように思った、この人は王か、

あるいはこの人は王に等しい人か。

私が雇われて物を得るようなところではない。

いっそのこと貧しい里に行くに越したことはない、市や働く場所があり衣食を容易に得られるだろう。

もし長くここにとどまれば、

あるいは危難が身に迫り強制的に働かさせられる。

このように思い、急いで走り去りました。

その時、富んだ長者は、獅子の座から子を見て、すぐにそれを認識しました。

心は大いに歓喜して、このように思いました。

私の財物や倉庫は、今、与えることができる。

私は、常にこの子を思っていたが、この子に会える機会がなかった。

しかし、自らやって来た。私の願いがかなった。

私は年をとったけれどもなおそれを、深く気にかけてこだわっている。

すぐにそばにいる人を送って、急いで追いかけて連れて返らせよう。

その時に使者は、早く走って追いついてその子を捉まえた。

困窮している子は非常に驚き、うらみ言をいって大声で叫びました。

わたしは悪いことはしていません、なぜ捉まえるのですか。

使者はますますしっかりと捕まえて、無理やりに引きずって連れ帰った。

その時に、困窮している子は、心の中で思った。罪を犯してないのに捕らえられた、これは必ず殺される。

また、さらに恐れて、悶絶して地面に倒れた。

父は、遠くからこれを見て、使者にこう言った。

この人を強いて連れてくることはなかったのだ。

冷水を顔にかけて目覚めさせなさい。

またかかわりを持って話をしてはならない。

理由は何故かというと、父はその子の意思が下劣であることを知り、

自分は富豪で高貴であるので、子供が近づきがたいことを知って、

明らかにこれはわが子であると知っていても、

しかし、目的を達するための便宜上の手段によって、他人に語り、これはわが子であるとは言わなかった。

使者は彼に言いました。私は、今おまえを放す、好きなようにしなさい。

困窮している子は、歓喜して今までに一度もなかった経験をし、

地面より起きて貧しい里へ行き、衣食を求めた。

その時に長者は、今にもその子を誘い入れようとして、

目的を達するための便宜上の手段を設けて、密かに二人の顔の形や色がやせ衰えていて貧相な者を送り込んだ。

おまえはあそこへ行って、困窮している子におだやかに話しなさい。

ここに働くところがある。二倍の賃金をおまえに与えよう。

困窮している子が、もし同意したなら、連れてきて働かせなさい。

もし何の仕事をするのかといったなら、このように話しなさい。

おまえを雇うのは糞を掃除させるためだと。

私たち二人もまた、おまえと一緒に働くと。

二人の使いは、困窮している子を探した、

これを探し出してから、この事を話した。

その時に、困窮している子は、その賃金を受け取り、糞の掃除をした。

その父は、子を見て憐れんでこれを心配に思った。

また、他日、窓の中からはるかに子の姿を見れば、

疲れて痩せてやつれ、糞や土やごみに汚れ不浄であった。

そこで、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や細く柔らかな上着や装飾品を脱いで、

さらに、粗末でよくない垢と油で汚れた衣服を着て、ゴミや土で体を汚し、

右手に糞の入れ物を持って、恐る恐る近づいた。

働いている人達に話した。おまえたちよく働いて怠けることがないようにと。

目的を達するための便宜上の手段によってその子に近づくことができたのだ。

後にまた、告げて言った。

おい、そこの男、おまえはいつもここで仕事をしろ。また、他所へ行ってはいけない。

当然、おまえには余計に賃金をあげよう。

いろいろなお盆や器、米や麺、塩や酢がある。

自ら疑って遠慮をするな。

また老いぼれの使いをする者がいる、使うならばあげよう。

自分自身をもっと気安くしなさい、私はおまえの父のようなものだ。

また思い煩うことをしないように。

理由は何故かというと、私は年老いているがおまえは若いからだ。

おまえが常に働くときにうそをついて怠けたり、怒り恨んだり、うらみの言葉を言ってはなりません。

全てに於いて、おまえはこの諸々の悪いことをしていないが、そのほかの使用人にはよくあることである。

今後、私の所で生まれた子供のようにしなさい。

そして長者は、さらに名前を作り、子供のように名づけた。

その時に困窮している子は、この待遇を喜んだが、

それでもまだ、自らを雇い人で身分の卑しい者だと言った。

このような理由のために、二十年の間において常に糞の掃除をさせた。

これを過ぎて以後、心は通じ合い遠慮なく出入りした。

それでもなお、住む場所は元の所でした。

世尊、その時に長者は病気になって、

自らまさに死が遠くないことを死って、

困窮している子に話した。私は、今多くの金や銀や珍しい宝を持っていて、倉庫に満ち溢れている。

その中の多くは、取っておまえに与えるためのものである。おまえは、よくこのことを理解しなさい。

私の心の中はこうなのです。当然、この意思を悟るべきである。

理由は何故かというと、いま、私とおまえは異なることがない。

くれぐれも用心をして、財産をなくすことがないように。

その時に困窮している子は、教えと命令を受けて、

いろいろな金や銀や珍しい宝と諸々の収蔵品を知ってはいるけれども、

しかし、ひとつの食べ物すら貰おうとはしませんでした。

しかも住んでいる所は、尚もとのところでした。

卑しい心を未だ捨てることができませんでした。

またしばらく経って、父は、子の心がだんだんと通じるようになり安らかになって、

大きな志を成就し、自ら以前の心を卑しかったと知り、

臨終の時に臨み、

その子に命じて、親族、国王、大臣、武士、在家男子を呼んで集めました。

そして、自ら宣言しました。皆さんお聞きください。

これはわが子であり、私の所で生まれた子です。

ある町において私を捨てて逃げ出し、

さまよい歩いてつらい思いをすること五十年、その元の名は何某で、私の名は何某です。

昔、その町で憂いを懐いてたずね捜し求めました。

思いがけなく最近になり、めぐり合うことができたのです。

これこそ実のわが子であり、私がその実の父なのです。

今、私が持っている全ての財産は、この子のものなのです。

以前に出納した所の物は、全てこの子が承知しています。

世尊、このとき困窮している子は、父のこの言葉を聞いて大変喜び、

今までにない思いをして、このように思いました。

私は、もともと心に願い求める所はありませんでしたが、

今、この宝の蔵へ自然に至ったというようなものです。

世尊、大いなる富の長者とは、すなわち如来のことです。

私たちは皆、仏の弟子のようなものです。

如来は常に、私たちを如来の子であるとお説きになります。

世尊、私たちは、それ自体が苦である苦苦と、楽事が破れて苦に変わる壊苦と、世の無常から受ける行苦の、三つの苦悩のために、

生まれたり死んだりする中において、諸々の激しい苦悩を受け、

迷い戸惑い無知であって、自己の悟りを第一とする教えである小法を楽しみ執着しています。

今日、世尊は、私たちに考えさせ、諸々の教えの無意味な論である糞を取り除いてくださいました。

私たちの中において、努力し雑念を去り仏道修行に専心して、煩悩の火を消して知慧の完成した悟りの境地へ至る過程での一日の糧にふさわしい価値があるものを得ました。

既にこれを得てしまって、心は大いに歓喜して自ら満足しました。

そして、自ら思って言いました。仏法の中において勤め雑念を去り仏道修行に専心したために得るものが多かったのですと。

しかも世尊は、以前、私たちの心がよくない欲に執着して、自己の悟りを第一とする教えである小法を願うのを知って、

そしてそのままにされて、そのために、「おまえたちには当然、如来の事物に対する正しい認識や宝蔵の分け前があるに違いない」と、分別されなかったのです。

世尊は、衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きによって、如来の知慧を説かれたのに、

私たちは、仏に従い奉って、煩悩の火が消えた知慧の完成した悟りの境地のたった一日分の価値を得て、

それを以て、大いに得ることができたと滿足して、この大乗の志を求めなかったのです。

私たちはまた、如来の知恵によって、諸々の悟りを求める修行者のために開示し演説したのを、

自らこれを志し、願うことをしませんでした。

理由は何故かというと、仏は、私たちの心が、自己の悟りを第一とする教えである小法を願っていることをお知りになって、

衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きによって、私たちに合わせて説かれたからなのです。

しかし、私たちは、私たちが真に仏の弟子であることを知らなかったからなのです。

今、私たちは、ちょうど知りました。世尊は、仏の知恵において物惜しみすることはないのだと。

理由は何故かというと、私たちは昔からずっと、真に仏の弟子であるけれども、しかし、ただ自己の悟りを第一とする教えである小法のみを願っていたのです。

もしも、私たちに他の衆生の救済を願う大乘の心があれば、仏はすなわち私のために、大乗の教えをお説きになられたのです。

今、この経典の中で、一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えを説かれた。

しかも昔、悟りを求める修行者の前において、

仏の教えを聞いて一分の悟りを獲得したものが、自分の悟りのみを願うことをそしったりなさいましたが、

しかし実は、仏は、衆生の救済を第一とする大乗の教えによって教化していらっしゃったのです。

この理由のために私たちは説きます。

本来は、心に願い求めることはなかったのですが、

今、教えの王の大宝が、自然にやってきた。

仏の子が得るべきところのものは、皆既にこれを得ることができた。

その時に、摩訶迦葉は、重ねてこの意義を述べようとして、仏の徳を賛歌して詩を説いて言われた、

私たちは今日 仏の教えの声を聞いて

歓喜し躍り上がり 初めての経験を得ました

仏は、仏の教えを聞いて一分の悟りを獲得したものが きっと、仏と成ることができるに違いないと説かれた

この上ない宝を 求めていないのに得ることができました

たとえば子供が 幼く知識がなく

父を捨てて逃げ出して 遠くの土地に至った

諸国を巡り歩くこと 五十余年

その父は心配して 四方を尋ね探した

子供を探し疲れて ある町に留まった

家を建てて 財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲を自ら楽しんだ

その家は富んで 諸々の金銀

シャコガイ,メノウ 真珠、瑠璃が沢山あり

像、馬、牛、羊 輿や車

田の仕事をする召使いの少年 雇い人が多くいた

金銭を貸して利息を得ること他国に及んでいた

商人やお得意の客で いたるところがいっぱいでした

千万億の衆が 周りを右回りに歩く作法で礼拝し恭しく敬い

常に王者に 深く愛されることを得た

臣下や豪族に 皆共に敬われ

いろいろな外的な関係があるために 往来する者が多かった

富豪であるさまはこのようであり 大きな勢力を持っていた

しかし年老いてきたために 後継ぎの子を悩んでいた

朝早くから夜遅くまで思い悩み 死の時がまさに近づいてきた

愚かな子が私を捨てて 五十余年が過ぎた

倉庫にあるいろいろな物 これをどのようにするべきか

そのときに困窮している子供は 衣食を求め探し

町から町へ 国から国へ放浪していた

あるときは得るものがあり あるときは得るものがなかった

食べ物がなくて飢え疲れてやせ衰え 身体に疥癬虫の寄生によって起こる伝染性の皮膚病ができた

だんだんと年月を経て 父の住む城へたどり着いた

雇われ転々として 父の家に偶然にやって来た

その時に長者は その門の内側において

大きな宝石で飾ったたれぎぬをたらして 獅子の座に座り

家来は周りを右回りに歩く作法で礼拝し 諸々の人がそばに仕えて護衛していた

ある者は 金銀宝物を計算し

財産を出し入れし 書き物をしたりする者がいた

困窮している子供は父の 勢力があり高貴で気高いのを見て

この方は国王か または国王と同じような方かと思った

驚き恐れて自ら心配になり なぜここへ来たのだろうかと

ひそかに自分で思った 私がここに長居すれば

あるいは危難が身に迫り 強制的に働かさせられるだろう

このように思って 走り去った。

貧しい里をたずねて 行ってやとわれて働こうと思った

長者はこのときに 獅子の座に座っていた

遠くからその子を見て 黙ってこれを知った

すぐに使者に命令し 追いかけて捉えて連れてこさせた

困窮している子は驚き叫び 迷い悶えて地に倒れた

この人は私を捉え きっと殺されるに違いない

なぜ衣食によって 私をここへ来させたのか

長者は子供の心性が愚かで、一切の道理に暗く心が狭く劣っているので、

わたしの言葉を信じず 私が父であると言っても信じないことを知って

目的を達するための便宜上の手段により さらに他人の

片目で見識が低く 威厳と人徳がない物を使いに送った

おまえはあの子に話して伝えなさい きっと雇うはずだ

諸々の糞や汚いものを掃除しなさい 倍の給料をおまえに与えようと

困窮している子はこれを聞いて 喜んでついてきて

糞や汚いものを掃除し 諸々の建物を掃除した

長者は窓から 常にその子を見て

その子が愚かで劣っていて 好んでつまらない仕事をしていることを考えた

このとき長者は、粗末な垢まみれの服を着て、

糞を掃除する道具を持って 子供のところへ行って

人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段によって近づき 話をしてよく働かせた

既におまえの賃金を上げた そして、足に油を塗り

飲み食いに満足させ むしろの敷物で暖かくしてあげよう

このようにあえていさめる言葉を述べた 「おまえはよく慎み励んで働きなさい」

また逆に優しい言葉をかけ 「私の子供のようにしなさい」

長者は知恵があり だんだんと出入りさせた

二十年がたって 家事を執り行わせ

それに金銀 真珠、水晶、諸々の物の

出し入れを示し みな教えたけれども

なお、門外に住み かやで屋根をふいた粗末で小さい家に寝泊りして

自ら貧しいと思った 私にはこれらの物は無いと

父は子供の心が だんだんと広くなったのを知り

財物を与えようと願い そして親族

国王、大臣 武士、在家男子を集めて

この皆の前で これはわが子ですと言った

私を捨ててよそへ行き 五十歳になり

子に会えてから 既に二十年

昔ある町において 子の子を失い

めぐり歩き捜し求めて ついにここに至り

私が持っている 建物や使用人

ことごとく全てこの子に与える その持てる物を好きなようにしなさい

子は思った。昔は貧しく 志は下品で卑しかった

今は父のところにおいて 多くの珍宝や

ならびに建物 全ての財物を得た

非常に喜んで 今までに一度もなかったことを得たようである

仏もまたこのようなのです 私が自分だけの幸せを願うのをお知りになって

未だ全てを説明して おまえたち最高の悟りを開きなさいとは言わない

しかし私たちは 諸々の煩悩のない境地を得て

自分のみの悟りをひらく 声聞という弟子であると説かれた

仏が私たちに説かれた 最上の道

これを修習するものは きっと成仏することができるに違いないと説きなさいと

私は仏の教えを受けて 偉大な悟りを求める修行者のために

諸々の因縁 種々のたとえ話

布施として優しい言葉をかけることを以て この上ない道を説くのです

諸々の仏の弟子達は、私に従って教えを聞き、

日夜、対象を心に浮かべてよく考え 雑念を去り仏道修行に専心し習って身につける。

その時に諸々の仏は これに対して未来に最高のさとりを得るであろうことを予言し約束するのです

おまえは来世において 徒然仏となるに違いない

全ての諸々の仏の 秘蔵の教えを

ただ悟りを求める修行者のために その真実であることを述べて

私のために その真に最も大切な部分を説くのではない

あの困窮している子が その父に近づくことができて

いろいろなものを知ることができたが 心から願い求めることはしなかったように

私たちは、仏法の宝蔵を説いたとしても

自らその志や願いがないということは またまたこれと同じなのです

私たちの心の中の煩悩や苦悩の消滅を 自ら十分に達成できたと思って

ただこの事だけを知り さらに他の事は何も知らない

私たちがもし 仏が国土を清め

生命のあるものすべてを教え導き望ましい方向に進ませることを聞いても 大きな喜びはありません。

理由は何故かというと 全てのこの世に存在する有形や無形の一切のものは

ことごとく実体がなくその本性は空であり 生じもしないし滅びもしない

大きいものもなければ小さいものもない 煩悩もなければ因果の関係もない生滅変化しない永遠絶対である

このように対象を心に浮かべてよく考えて 喜びや楽しみを生ずることはない

私たちは煩悩のため悟りが開けず生死の境界にさまよっているが 仏の物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力においては、

むさぼり求める心もなく執着もなく また望み願うこともないのです

しかも自ら教えにおいて これが物事の最後に行き着くところであると思っているのです

私たちは煩悩のため悟りが開けず生死の境界にさまよっているが もろもろの事物は、 因縁いんねんによって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないといったあり方を説く教えをならって身につけることにより

全ての衆生が生まれまた死んで往来する世界の 苦悩に嘆き悲しむことから抜け出すことができ

煩悩を絶った心の生命の拠り所としての肉体に留まり 心は煩悩を断ったが、いまだ生命のよりどころとして肉体があっても煩悩の火を消して、知慧の完成した悟りの境地に達したのです

仏が人々を教え導いて仏道に入らせることは 仏道を修行して悟りを開くことであり虚しくはないのです

つまり既に、仏の恩に報いることを得たのです

私たちは、諸々の仏の弟子のために

悟りを求める修行者の教えを説いて それによって仏道を求めさせようとしても

しかもこの教えを 長い間切望することはなかった

仏の教えを説いて人々を仏道に入らせる僧が俗世間を離れるのは 自分の心を見つめる理由のためである

最初に人々に仏の道を説いて勧めるときに 実際の利益や効用があるとはお説きにならない

富んでいる長者が 子供の志が劣っているのを知って

衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きによって その心を和らげてから制御し形作って

その後に 全ての財宝を与えたのと同じように

仏もまたこの様なのです めったにないことを現じたのです

自己の悟りを第一に願う者であるとお知りになって 衆生を導くのに臨機応変の手だてを用いる智慧の働きによって

その心を整えて制し その後で利他の精神による衆生の救済という大智を教えたのです

私たちは今日 今までになかったことを経験しました

以前またこうしてほしいと望んでなかったことを 今自ずから得ることができたのは

あの困窮した子が 計り知れない宝を得たのと同じことです

世尊、私は今 道を得て修行によって得た成果を得て

すべての迷いを残らず離れ去る教えにおいて 煩悩、私欲、罪悪などがなく心の清らかな眼を得ることができました

私たちは煩悩のため悟りが開けず生死の境界にさまよう中で 仏によって制せられた、清浄で正しい戒を守って

始めて今日において その行いの結果として現世で受ける果報を得たのです

教えの王の教えの中に 長い間仏道の修行を修めて

今、すべての迷いを残らず離れ去り この上ない仏道修行によって得た悟りの境地を得たのです

私たちは今 真に自己の悟りのみを求める修行者である声聞となったのです

仏道の声によって 全てを聞かせましょう

私たちは今 真に自分だけの悟りを開いた阿羅漢である

諸々の世間 天上界に住む者、魔王、梵天において

あまねくその中において きっと供養を受けるでしょう

世尊は深い恩恵がおありになり めったにない事によって

憐れみ人を教え導き望ましい方向に進ませて 私たちを利益されるのです

数えられないほどの長い時間においても 誰もこれによく報いる者はいないのです

手足を差し出し 頭の上に押し頂き礼をして敬い

全てをささげて供養したとしても 全てに報いることはできないのです

若しくはうやうやしく頭上にいただき 両肩に背負って

ガンジス川の砂の数ほど長い時間において 心を尽くして恭しく敬い

また、美しい食膳を供し 数限りない宝で飾った衣服

および諸々の寝るときに用いる道具 いろいろなせんじ薬

南インドの牛頭山に産する栴檀(せんだん)から作った香料 および諸々の珍しい宝

これを以て仏塔や廟を建て 宝石で飾った衣を地面に敷き

このような事を 全て用いて供養し

ガンジス川の砂の数ほどしても また報いることはできないのです

諸々の仏は非常に稀であり 計り知れないほど多く計り知れないほど大きな

不可思議な 大神通力を持っていらっしゃいます

煩悩もなければ因果の関係もなく  諸々の教えの王なのです

非常に道義的に下等であっても そのことを忍んでいらっしゃるのです

教えを理解していない凡夫を外観から見破って その程度にふさわしく合わせてそのためにお説きになるのです

諸仏は教えにおいて 最も望むとおりに物事をなしうるのです

諸々の命のあるものすべての いろいろな欲望や願い

およびその志の力をお知りになって 許容する能力にしたがって

数え切れないほどの比喩を用いて そしてそのために教えをお説きになるのです

諸々の衆生の 前世からの因縁のよい報いを招くもとになる行為にしたがって

また精神が十分に成長し発達したものや 精神などが十分に成長し発達していないものを知り尽くして

いろいろに量を加減し もろもろの事理を思量し識別し知り尽くして

一切衆生を乗せて仏の悟りへと運ぶ一乗の教えの道において その場その場で、相手に応じて随時よろしく、衆生を悟りに導く三種の教法をお説きになったのです。

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